創始者 松田正義について

創始者 松田正義について

それは1群のミツバチから
始まりました。

それは1群のミツバチから始まりました。
それは1群のミツバチから始まりました。

クインビーガーデンの創業者・松田正義は、もともと東京府(現・東京都)の職員で都市設計をはじめ建築関連の仕事に携わっていました。

しかし1920年後半、働き盛りだった彼は突如結核に襲われたのです。療養所でしばらく床にふすことになった松田に薬として与えられていたものが、”はちみつ”でした。当時、はちみつは一般家庭では容易に手に入らない高価な天産物。そのはちみつを食すごとに、松田の体は快方へと向かったのです。

病を完治した松田は退院後、この素晴らしい自然の恵みをもっと多くの人に届けたいと、1群のミツバチを購入。養蜂の道を歩き始めることになります。これが、クインビーガーデンの始まりです。

全国各地で転地養蜂開始

戦時中も養蜂を拡大していった松田は、終戦間もなくの1946年、クインビーガーデン養蜂工業共同組合を設立します。

そして、移動転地養蜂を開始。北は北海道の十勝から南は鹿児島の種子島まで、鉄道・船・トラックを乗り継ぎながら、れんげやみかんなどの花が咲く時期にあわせて全国各地の養蜂所を行脚。自然の味を求める旅「ハニーキャラバン」を毎年続けていました。

全国各地で転地養蜂開始
全国各地で転地養蜂開始

新しい養蜂技術の開発

新しい養蜂技術の開発ローヤルゼリーの量産方式を世界に先駆けて開発したのがクインビーガーデンでした。
まず、創業者・松田正義をはじめ研究開発チームが取り組んだのが、「人工王台」の開発です。ハチの巣には、女王バチを育てる空間「王台」という部屋があります。これを、プラスチックで人工的に製作したものが「人工王台」。ここに、ふ化して間もない体長1ミリほどの幼虫を移し入れると、女王バチ候補だと思った働きバチがローヤルゼリーを与え続けます。この量産方式で、1956年からはローヤルゼリーの商業量産化を北海道の広尾郡大樹町で始めます。
松田は、このような新しい養蜂技術を全国の養蜂家に広めていくことにも貢献。さらに日本養蜂協会の設立や養蜂振興法の施行にも尽力しました。