戦時中も養蜂を拡大していった松田は、終戦間もなくの1946年、クインビーガーデン養蜂工業共同組合を設立します。
そして、移動転地養蜂を開始。北は北海道の十勝から南は鹿児島の種子島まで、鉄道・船・トラックを乗り継ぎながら、れんげやみかんなどの花が咲く時期にあわせて全国各地の養蜂所を行脚。自然の味を求める旅「ハニーキャラバン」を毎年続けていました。
特に北海道では、広大な土地で良質のはちみつが採れるとして、1948年に養蜂場を設立。それまで民間療法で滋養のある薬のように扱われていたはちみつを、家庭の食卓にのぼるはちみつとして量産化をスタートさせます。